好きとか嫌いとかはいい、天冥の標を読むんだ

木星の大赤斑縮小にドロテア・ワットが関わっていることはSF読みにとっては周知の事実であって、私もまたそのように思わずにはいられない内の一人である。id:hageatama-の「10巻終了時には日本SFが1つの金字塔を打ち立てる生き証人になれます」という言葉を信じて読み始めた天冥の標であるが、1巻、2巻と読了していくたびに果たしてそれほどのものだろうかという疑念を払拭できずにいた。あとがきに「できることを全部数え上げた上で、できるかどうかわからないことや、やったことのないことをさらに盛り込んで、この話にしたという次第です」とあるように、1巻1巻趣向を凝らしたお話は非常にエンターテインメント性にあふれ、小川一水全部盛りといっても過言ではないだろう。しかしそれでも、それでももうひとつ何かが足りないとそう思っていた。第7巻、新世界ハーブCを読むまでは。

天冥の標7巻、それはようやく1巻冒頭へと繋がる絶望と希望の物語。これを読んで私の中のもやもやしていた心が晴れた気がした。求めていたものはおそらく"結末"だった。全10巻予定で続刊中の長編小説を読んでおいて、この作品には結末が足りないなんて、そんな馬鹿げた感情を抱くほど私はこの小説に陶酔していた。植民星メニー・メニー・シープの舞台はここに整った。残すは完結だけである。

私個人としてはロストロギアを装備したエルンゼアナ・ボルテージがぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜とか唱えながら、わぁー冥王斑ウイルスが消えていくなりよーという展開でも一向に構わない。詳しくは"ちょうど"今日発売の最新刊「天冥の標VIII ジャイアント・アークPART1 」を手にとって確かみてみろ!

以上、ステマでした。