僕のやさしさもだんだん齢をとる

嫁さんのお母さんに夕飯をご馳走になった。知り合いのもつ鍋屋でビールを飲みながらもつを3人前くらいは食べたような気がする。頼むものは決まって一人前1,500円の特コースだ。ナムル・チヂミ・もつ・豚ロース・うどん・おじや・スープ・デザートがセットになったもの。それにもつを二人前プラスするのがいつもの彼女のオーダーである。

ところでいわゆる姑を呼ぶときにどのように呼んだらいいかについていつも悩む。本人を呼ぶときは「おかあさん」と呼べばいいのだが、他人に伝えるときに「嫁さんのお母さん」といちいち説明するのがめんどうなのでなんとか省略したい。文章の場合は特に悩みもしないが、どちらにしろ、どうも夫が妻の母親に対して「姑」という言葉を使うことに僕はやはり抵抗がある。ここはひとつ「彼女」という女性名詞で短くまとめてみたい。

嫁さんのお母さん、つまり彼女とは今回のようによく夕飯をご馳走になる。僕の経済力が至らないのが主な理由だと思うが、早くに夫を亡くし娘二人もとりあえずは自立している状況にあって、彼女は毎晩のように飲みに出かけている。そのため、タクシーとして僕をよく利用しついでに夕飯も一緒にという流れである。

昨日は彼女の夫の弟が亡くなったということで、千葉の船橋まで出かけ、帰りに駅まで迎えにいってその足で夕飯にもつ鍋となったわけである。

彼女の夫の弟、つまり僕からすると叔父に当たる人でいいのだろうか。残念ながら僕はまったく面識のないままになってしまった。享年55歳。叔父さんは数年前に病を患い、本人もまわりも先が長くないことはわかっていたことだったらしい。奥さんと高校と大学に通う二人の息子がいるらしいが、別居状態で離婚の協議に入っていたらしい。実際に、亡くなる二ヶ月前に離婚が成立していて奥さんにとってはいい厄介払い、叔父さんにとっては迷惑をかけずにといったような、嫁さんや嫁さんのお母さんの話や愚痴から察するにそういったところらしい。

僕は結婚するまで、家族とか親戚とかは当たり前のようにうまくまわっていて、みんな仲がよくて、みんないい人たちばかりで、お年玉もいっぱいくれる、そんな風に感じてきた。結婚後、嫁さんから親戚の話を聞かされると今回のような悲惨な話が多くて驚いてしまう。

帰りの車の中で嫁さんが「私はあたなを捨てないわ」と呟いていた。それを聞いて僕は、昔好きだったアニメの台詞を思い出しながら、生中二杯でくるくるまわって眠りについた。

女はすぐ裏切るが、男は義理に生きるもんだ。俺はそう信じたいね。

カウボーイビバップ第16話より