ゲーム

だから、俺にとってのSTGは・・・
「友達」なんでしょうね。もしかすれば異性の?
クリアして、一線超えちゃったんですよ。多分。

あぶのーまる高校生日記

ゲームとはなんぞや、ということをずっと前に考えたことがある。たしかドリキャスが撤退して、いよいよ家庭用ゲーム市場がプレステ2一色に染まったあたりだったと思う。あのころの僕は宗教上の理由でソニーのゲームが大嫌いだったので、ゲームが映画になってどうすんだよみたいことに憤っていたと思う。綺麗なムービー見せて、泣けるシナリオつけて、ほら感動しなさいよってな具合に。ゲームってのはな、十字キーでカーソル動いたりキャラが動いたり、Aボタン押したらキャラが剣を振り回したりジャンプしたり、俺とお前とコントローラ!そーゆーインタラクティブな部分がいいんじゃねーか!ゲームという土俵で作品を作るのならゲームでしか表現できないことをしろよ!みたいことを友達に熱弁していたと思う。でも今になって思えばそんなものは固定観念や偏見や先入観。だから「ゲームは友達」っていうすごく単純な表現にものすごく感銘を受けた。僕はあのときドリキャスという友達をとられて悲しかったんだって思えば、あのもやもやしてきた日々もなんとなく説明がつきそうな気がしてきた。

さらに、STGは異性の友達でクリアで一線越えちゃったって思えば、ゲームクリア後の達成感と脱力感と、なんだかよくわからない気持ちも説明がつきそうな気がする。

そんなことを考えていたら好きな言葉を思い出した。

一般に青年が主張する内容は正しくない。しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。

ゲオルク・ジンメル