害虫

最近よくキッチンから悲鳴が上がるようになった。声の主はきまって嫁さんで、その原因もきまってコックローチだった。悲鳴はコンマ五秒遅れて主人の名前を連呼する。パソコンの前で優雅にカフェインをキメながらネットワークと同化している僕のところに家具をすり抜け飛び跳ねて、必死の形相で嫁さんが走ってくる。その勢いは脱兎の如く、ルートの的確さはマイクロマウスのようだった。

大人の僕は虫が大嫌いだが、子供の僕は虫が大好きだった。僕が六歳から十三歳までを過ごした県営住宅の周りは雑草が生い茂っていて、裏手には雑木林が広がっていた。当然そこには多くの小さな生き物が生息していて、様々な虫を捕まえては遊んでいた。

食物連鎖のピラミッドに関係なく、今も昔も子供たちの虫ヒエラルキーの頂点はカブトやクワガタ、カミキリなんかの甲虫類だろうと思う。僕の周りでもカブトやクワガタは大人気だったけれど、果たして今それを素手で触れるかとなると自信が全くない。

虫好きから虫嫌いになったのがいつで、その理由がなんであるかはどこかの偉い人がすでに分析しているのだろうけど、僕が感じることは、もう虫は僕にとって必要な存在じゃなくなってしまったということなのだろう。それどころか殺虫剤を使う対象になっている。蝶やバッタやトンボを追いかける日々なんてものはもう僕には必要ない。その矛先が虫からおっぱいに変わってしまった。子供の僕にとって虫は友達じゃなくておもちゃだった。

たまごっちが流行したときに情操教育を持ち出して批判した大人たちがいた。携帯ゲーム機が子供たちの間で爆発的に普及している今、今度は外で遊ばなくなった子供たちの虫離れによって云々なんてことを言い出すのかもしれない。しかし、あの頃の僕は飼育と称して虫かごに詰まった虫を何の世話もせずに殺してしまっていたし、壊れたおもちゃになんの罪悪感も抱かなかった。ラブプラスで彼女を作って戯れたほうがよっぽどいいと思う。

虫が好きだった頃の貪欲なまでの探究心がまた欲しい。そうすればなにかに畏怖するような毎日を送らなくてもいいような気がする。