抑止力としての僕の嫁

『よみがえる僕嫁』→『僕の嫁さん@がんばらない』
ブログタイトルが上記のように変更になりました。アニメの番組改編期に合わせてタイトルが改変されるブログが世界に7つくらいはあってもいいんじゃないでしょうか。

さて、結婚とそれに付随する夫婦についてのエントリを二件ほど読みました。 ひとつは夫と同じように妻もゲーマーなら家庭内CO-OPとか出来て楽しいよねという話。 これは程度にもよりますけど、実際すごく楽しいです。嫁さんはゲーマーではありませんが、XBLAにSplosion Manっていうゲーム(パズル要素の強いバトルトードみたいな感じ)があって、 いちにいのさんっ!とか言いながら夫婦が並んでコントローラ操作して爆発してる感じは随分仲のいいイメージに仕上がってる気がします。 ただそれも最初だけで、お互いに能力差がありすぎるとつらくなってきますよ。 友達ん家でやる格ゲーとか想像してもらえればわかりやすいです。あまりにプレイヤースキルに開きがあると僕の蔵土縁紗夢が毎回みんなのバイト代払えないんですよね。 それは協力プレイにも言えることで、あまりに実力差があるとイラッとくることも多い気がしますよ。あとは、反射神経を伴わないゲームを覚えた嫁ほど恐ろしいものはない。 人生ゲームと桃鉄のループとか地獄で、永遠に夫婦とNPCの世界。しかも手加減しないと嫁さん泣いてしまいますからね。ボンバーマンでは必ず他のNPCを減らした後で嫁のスーパーみそボンから放たれた爆弾で爆発してください。

んで、ここまでを踏まえて、やはり趣味は夫婦で共通しないほうがいいんじゃねーのってことなんですけど、賛同者は少ない気がしている。 趣味が一緒ってのは欠点よりも利点のほうが多いとは思うんですけど、たとえば嫁さんがゲーマーだったなら僕は会社から帰って寝るまでずっとスカイリム地方に篭っても怒られないと思います。 これがゲームという趣味をあまり理解できない嫁さんの存在があったのならば、夫ちゃんご飯できたわよーって呼ばれたときに、ごめんいまヴァナディールだから帰るまであと一時間はかかるわーって言われてしょうがないにゃぁってならないし、 ふざけんなやてめぇみたいなブタはさっさと出された餌をブヒブヒいいながら食えやチンカス野郎がとなります。ものすごく極端な話ですけど。でもそれで、人として最低限の健康で文化的な生活の均衡は保たれるわけです。

んで、ふたつめ。これ、引用元が長いのでリンク貼りました。
http://anond.hatelabo.jp/20130122131752
今年はホッテントリとかになった話題についてもガンガン書いていってゆくゆくはぬくぬくしたいです。僕はアフィ顔でそう言った。嘘です。んで、リンク先のことについて、夫婦ならよくある話なんじゃねーかなと。 自分の考え方と妻の考え方のさらなる乖離によって、ジレンマが悪い方向にいっちゃって、精神的ショックも重なって最終的に頭がパーンってなるアレです、の名前を僕はまだ知らない。 僕は結婚四年目で子供もいないので(嫁がサキュバスなら僕はすでに事切れてるくらいにはちんぽみるく与えてるつもりですけど)、子供いない勢の環境から書きますと「私はこんなに頑張ってるのに妻はそれを許してくれない」って考え方は罠だと思うんですよね。 そもそも世の中の男が考えていることってろくでもないことが多いし、基本的に子どもっぽいし、しょうもないことが多いし、そんなことよりもうちょっと考えたり時間を費やしたりすることがあるんじゃーねぇのかってむっちりした団地妻は思ってるんじゃないですかね、男性を馬鹿にする気持ちはありませんし、自虐でもなんでもないですけど。そこで、もしも嫁さんが良妻賢母であるならば、間違ったベクトルから修正してくれる抑止力になるんじゃないですかね。その行為はある一点においては、なんで自分のことを理解してくれないんだ、女って生き物はクソすぎるな、いいやもう限界だね、ババァを養うのはもうやめだ、せっかくだから俺はこの二次元幼女を選ぶぜ、歳も一桁のまんまだしなヒャッハー!などと供述することがあったとしても、間違った道に突入したときにブレーキをかけてくれる存在が良き妻だと思います。なにをもって間違いとするかは今の僕には理解できませんけど。結婚は人生の墓場ですけど、自分自身とは違った目線で物事を判断している異性がそばにいるってのは、ものすごく意味のあることなんじゃないですかね、ものすごく融通は利きませんが。どんな時でも、自分の時間ではなく、妻の意見を最大限尊重すること。それが僕と嫁の夫婦生活で得た教訓みたいなもんです。