夜は短しカシュれや青春

父は毎日晩酌をして当り散らすような人である。ペットである亀の餌を与えることを忘れた日には「亀はお腹が空いてもお前らのように喋ることが出来んのぞ!」と家族全員正座で説教をされて、翌日にはその記憶が綺麗さっぱり本人から抜け落ちているというような酒癖の悪さである。そんな父のそばで育てられた僕は「大人になっても酒とタバコはやるものか」と決めていた。結局はその禁酒禁煙の誓いは自らの意思によって破られることになるのだが、それでも酒に関しては父のように他人に迷惑をかけたことはないと自負している。

下戸は酒を飲まなくても生きていける、というのは下戸である僕の持論だが間違いではないと思う。そんな僕であるが、ビールだけは無性に飲みたくなるときがある。喉がカラカラに乾いた初夏の風呂あがりなどはまさにうってつけのオクトーバーフェストである。

「お酒は二十歳になってから」というのは日本の法律であるが、多くの日本人がそうであるように僕自身もそれを守らなかった。初めて飲酒を体験した記憶というのは僕の中ですでに消失してしまっているが、二十歳未満であったことは確実である。たぶん最初に味を覚えたお酒はビールだったはずで、そのころの僕はビールというのは苦いだけで非常に美味しくない飲料であるという認識だったと思う。

父は「酒もタバコもやるなとは言わないが、もしやるのならば自分の稼いだ金で買え」というようなことを言っていて、僕はそれだけはきちんと守った。高校を卒業してすぐ就職した僕は、会社絡みの飲み会や友人との合コンなどでお酒を嗜む機会が増えるものの、どうしても酒というものが美味しいと感じることが出来なかった。これだけ嗜好品として定着しているお酒が美味しくないわけがないと、一時期は日本酒、焼酎、ウイスキーといろいろなジャンルのお酒を買ってはみたものの、やはり美味いと感じることはなかった。

それがいつしか、僕自身もよくわからないうちに「ビールだけは美味しい」と感じるようになっていった。人間の味覚は成長とともに変化すると言うのだから、きっとそのせいだったと信じたいが、たぶんそれは違う。

Twitterで知り合った友人のひとりにDawnsongという毎晩麒麟淡麗を飲んでは飲まれるというドラマーがいた。彼は夜な夜な「カシュッ」とPOSTし、美味しそうに発泡酒をあおる。だったら僕もとビールや発泡酒を買っては彼やその他の友人とSkypeボイスチャットをする日々が続いた。たぶんそのときからビールだけは美味しいと感じるようになったのだと思う。

友人との語らいは最高の酒の肴である。だからもし酒という嗜好品を楽しみたいのであれば良き友を持つことである。そんなことを考えながら、アサヒスーパードライの350ml缶を二本ほど空にした。つまみは賞味期限の切れた韓国のり。

「イナザワくん、イナザワくん。 今日もまたビールを飲もうじゃないか。」と、向井秀徳の声が聞こえてくる。