荒川智則について

僕はtwitterにアカウントを登録してから丸三年といったところか。実際には2007年5月20日に登録後、初POSTで「豆ごはん食べた。」とだけ書き残し数ヶ月失踪したのち2007年11月から本格的にツイートを開始している。

当時の僕はtwitterの仕組みや面白さがよくわかっておらず、とりあえずはてなグループのついったー部に登録されているIDを片っ端からフォローしていたような気がする。真面目な僕はきちんとリプライで挨拶をして「いまなにしてる?」の問いに的確に答えていた。当時よくリプライのやり取りをしたなと僕が勝手にそう思って印象に残っているユーザーが@smokeymonkeyと@aorenjarだった。のちに@aorenjarが起こしたバルトロン祭りにより所属していたシューター部が拡大し、あれよあれよと、シューターと変態は紙一重みたいな言葉を体現するようなクラスタが出来上がり、今もなおその一員としてフォロー600人中半分以上がシューター部というようなタイムラインの中で現在に至る。

さて、僕のtwitterデビューを振り返ったところで、昨今問題となっている荒川智則の分裂についてである。

twitterを本格的に始めた当初、タイムラインの話題に上がっていたのが今では当たり前のように存在している『ふぁぼったー』という「みんながFavoriteした発言でつくる、全自動Twitterまとめサイトもどき」だった。

このふぁぼったーとtwitterのシステムが僕にはたまらなく魅力的で、今までなんとなく壁に向けてつぶやいていた事がふぁぼったーの存在を知ってからは誰かに向けてのつぶやきに意識が変わっていった。ふぁぼったーのトップページはbotや有名人、芸能人ではなく、いつも面白い発言をするアルファついったらーで賑わっていた。

そんな中、ふぁぼったーのトップページで見つけたのが荒川智則という情報統合思念体だった。彼、いや彼女かもしれないし、彼ら彼女らと表現するほうが適切なのかも知れないが、とにかく荒川智則情報統合思念体なので肉体がなく、すなわち融合ができないので、紛れもなく未経験者であると同時に童貞だった。おまけに無職でいろいろとこじらせており、ふぁぼったー内では面白コンテンツのひとつとして消費されていた。もっともその話は後から知った事で、僕は荒川智則の一人が当時使用していたギートステイトのアイコンに魅かれてフォローを開始したのである。

荒川智則は、Ustreamskypeなどを駆使し積極的なコミュニケーションをたびたび行った。荒川智則が主催するUstream放送はそれなりに人気で、常時十数人のリスナーがいたのだが、今考えると荒川智則情報統合思念体であるのだからIDを複数使ってのサクラなど造作もなかったのかもしれない。

あるとき荒川智則の一人がいつものようにskypeでのボイスチャットをタイムラインで呼びかけた。賛同したのは@okinaoと、そして@Dawnsongという同じシューター部のチョコパイだった。なぜこの組み合わせだったのか未だに謎だが、ネットの出会いなんてそーゆーものだろうし、僕が認識していないだけできちんとした必然がきっとそこにはあるのだろう。

情報統合思念体である荒川智則の話は新鮮だったし、どうやら僕と同い年らしくなにかと馬が合った。それからしばらくskypeなどで荒川智則とコミュニケーションを取るようになった。僕は荒川智則を通じていろいろな世界を知り、そして荒川智則を理解しようとした。荒川智則はいろいろこじらせて、僕もロリコンをこじらせて、そんなこんなで日々が過ぎていった。

ちょうど一年前くらいに荒川智則が本格的に派遣のバイトを始め、僕も結婚が決まって慌しくなり、生活リズムの変化から今では以前ほど連絡を取ることもなくなった。彼はおかのうえに立ち、そして僕は嫁の尻に敷かれている。それでもいつかは荒川智則と酒を酌み交わしたいと願っている。一度だけでいい、会うことが出来なければ、僕の中で荒川智則は永遠に情報統合思念体のままである。

今日、荒川智則と呼ばれる情報統合思念体対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースは増加の一途をたどっている。ネット上のハンドルネームには本物も偽者もない。そもそも情報統合思念体のインターフェースである彼ら彼女らにとってオリジナルなど存在しないのである。だから「荒川智則とは誰か」という問いには「荒川智則荒川智則である」としか答えようがない。ただ確かなことは、あのときtwitterがあってふぁぼったーがあってシューター部があってそこにチョコパイがいて、そして荒川智則が僕と同い年だったという事実だけである。

これが僕の見てきた荒川智則の全てである。
そしてもちろん、これが荒川智則の全てではない。

僕がフォロワーそれぞれのタイムラインにいるように、荒川智則もまた、それぞれのタイムラインに存在している。僕には僕の、あなたにはあなたの、主観による日常世界が文字どおりタイムラインのように止めどなく存在し流れている。

「ならばそれを物語と呼ぼう」

あのころの、とある荒川智則の言葉である。