ほんとにあった怖い反語

納豆の臭いが嫌いな嫁は食卓で僕が大好きな納豆を食べる事を禁止している。飽食の時代に保育士である嫁は食育などという難しい話をする。食べ物を選ぶ権利だかなんだか知らないが、なんでもモリモリ食べて好き嫌いはしないに越したことはないと僕はそう思う。それでも嫁を無視して食卓で納豆を食べないのは、そんな僕にもどうしても許せない食べ物があるからだった。

まだ僕が小学生だった頃、実家では父が神、いわゆるゴッドだったので日常生活において考え方、というより脳の構造的に家族といろいろな軋轢をもたらしていた。それでも僕は比較的シンプルな頭皮(神)の息子なので親を信頼して言い付けなどはきちんと守っていた。そんなガキのころから今までの人生の中で深く生活に根ざしてきた家訓みたいなもののひとつに「出されたものは残さず食べろ」という、今にして思えば母親の料理のレパートリーと栄養学的見地からみてひょっとしてそれはギャグで言ってるのかとツッコミをいれたくなるような決まりがあった。しかしながら、そこは僕と弟というアホ兄弟なので、親が「頼むからもう食べないでくれ」と懇願するほど毎日のように銀シャリの追加を切望していた。

そうして親の思惑どおりかはわからないが、僕はこれといって好き嫌いのない健康肥満児として育っていった。そんなある日、のちに僕も弟も兄弟そろって今でも決して口にすることのない『悪魔の実』が食卓に上った。それは『らっきょう』と呼ばれるポピュラーな漬物だった。まず臭いがダメだった。臭いがダメなら味も期待できないことは食べる前からわかっていた。めちゃイケシンクロナイズドテイスティングでも明らかなように、人は味覚のほかに視覚や嗅覚を使ってモノを食べる。その内のひとつが拒絶反応を示しているのにエントリープラグが挿さるわけがないんだよ父さん。だけれども我が家では「食わず嫌い」はタブーであるので、兄弟そろって覚悟し、一粒だけ口に運んだ。覚悟とかアホか一瞬で吐き出したわ。そしてテーブルの上のツヤッツヤのらっきょう。怒る父。ごめんなさいごめんなさい。父がらっきょうを無理やり口に押し込む。ゆるしてくださいゆるしてください。父がさらに押し込む。そして、吐いた。胃の中のお肉やお野菜たちも一緒だった。その日食卓は甘酸っぱい香ばしさに包まれ、銀シャリは二合ほど余ったという。

おかわりいただけたであろうか。