世界はそれを愛と、それときっと水が余分だぜ

最近、許せないものがひとつ増えた。

僕はゲロゲロの実、いわゆるらっきょうが嫌いだ。それもかなり。あの日の思い出があまりに鮮やかに脳裏に焼きつき、今でも臭いを嗅ぐだけで嗚咽してしまう。そういった経緯があって、僕がどうしても許せない食べ物は長らくらっきょうだけであった。しかし最近になってブルータスおまえもかと落胆する出来事があった。肝臓のグリコーゲンを全部持ってかれた気分だった。僕は嫁が炊くやわらかいご飯が許せない。

結婚してからというもの、我が家ではお米を炊くのは僕の仕事である。しかし、最近は仕事の関係で帰宅が遅くなりがちな僕に代わって嫁が米を炊くのだが、炊き上がったご飯がことごとくやわらかい。やわらかすぎる。これではカレーライスもT.K.Gすらもその本質を味わえないまま食べ終わってしまう。実家でもお店でも今まで何度かこういった経験はあるし、米の炊き加減で目くじらを立てるのは馬鹿のすることだと思ってきたけれど、結婚して家事を分担している僕にはそれがどんなに許せない代物なのか思い知らされていた。

やわらかいご飯は食べるとネチョネチョする。弁当に入れると合体する。お茶碗にこびり付く。そして一番許せないのがアイツらは毎日のように炊飯ジャーを汚す。ベッタベタに汚す。教育されたお米粒というのは炊き上がりにしゃもじを入れるとひとつひとつが独立してお釜の中で綺麗に混ざり合いこびり付かず最後の一粒まで箸で食べやすい。そんなお米にとっての魂みたいなものが嫁が炊いたご飯からは感じられない。

なにを大袈裟なと実家にいたころの僕なら思うだろうが、毎日それを食べ毎日それを洗うのが僕自身となると話は別だ。

我が家での家事は、僕が食後の後片付け、風呂掃除、ゴミ出し、嫁が料理、洗濯、休日はお互いに部屋の掃除をするけれど嫁さんは片付けるのが大変苦手、という非常に公平な役割分担となっているが、それでも時々、仕事を含めた僕と嫁の拘束時間が違いすぎやしないかと思うことがあるけれど、きっとそれは気のせいだし、結局なんの話だったか、そうそう、好き嫌いの話だった。僕は嫁が好きだ。