とりとめのない初コミケ、その記憶の断片

初めてコミックマーケットに参加したのは二十二歳の夏だった。

当時の僕は東京とかアキバとかコミケとかに憧れるはつらつとした引きこもりの青年だった。だいたいにおいて地方に住む僕のような人種は地域格差に劣等感を抱きながら日々悶々とした生活を送っているはずで、だからこそ、いつの間にやら同人活動などを始めていた友人の口からコミケにいくという話が出たときには、ボクモボクモと興奮して、結局は友人の付き添いという形で上京することになった。

お金がなかった僕たちは少しでも旅費を浮かせようと、移動には夜行高速バスを使った。下関-東京間を15時間かけて走る『東京ふくふく号』は最高にバカでクールだった。そのバスに『LUMIX DMC-FZ1』というデジカメを置き忘れたまま東京駅日本橋口で降りた。

新宿の神座で昼食を済ませた後、さくらやとかゲーセンとかで暇を潰して、それからコミケ二日目の夕暮れのノコギリの下でビスケットを食べて渋谷の坐・和民でビスケオフに参加して、僕と友人はそれぞれの用事のためにそこで別れた。

僕は東小金井駅にいた。コミケにいくので泊めてくれと事前に頼んでいた友人は小学校からの付き合いだった。友人はカジュアルなスナッフフィルムを彼女と鑑賞しながら夕食とセックスを同時進行するという僕には理解出来ない趣味の持ち主だったけれど、彼は快く泊めてくれた。全身が痒くなるような大変不衛生な部屋だったが、極落雀などで遊びながらコミケ三日目に備えた。

いよいよコミケ三日目。僕は寝坊した。有明にある東京国際展示場に到着したのは午後三時のことだった。東館にある友人のスペースに顔を出したあと、西館で『卑猥えれくちおん』と石鹸屋の『東方弾打團』を買ったところで拍手となった。

ネットゲームで以前から親交のあった友人が会場にきていて、ねこバス停とかミュンヒハウゼン症候群とか観月堂とかの同人誌をもらったけれど、当時の僕にはそれがなんであるのかわからなかった。

コミケが終わって、下関に帰るバスの中で「彼女が出来た」と友人が告白した。僕は今度参加するときはカメラを忘れないようにしようと思った。

下関に帰ってきて翌日、僕は同人誌を眺めていた。
僕の部屋にやってきた母が「管理人さんからメロンもらった。あと、この家、なくなるから」と言った。