スクリプトキディはエンジニアの夢を見るか?

僕は毎日のようにこうやって得意げに文章を書いている。当たり前のように行っているそれは多くの開発者に支えられて成り立っている。文字を入力し変換するための日本語入力システムも、下書きするためのテキストエディタも、キーワードを検索するためのブラウザも、公開するためのブログも、誰かがどこかで人知れず開発したソフトウェアを無償で提供され、毎日をちょっと便利に過ごしている。

初めて本格的に触ったパソコンはWindows98だった。当時から多くのフリーソフトがインターネットに溢れていた。ダウンロードするだけのそんな僕だから、開発者とはリードミーの文章そのものと同義だった。

Twitterを始め、様々なクライアントやサービスの開発者の発言をタイムラインで見るようになって、あぁ、僕と同じ人間なんだって気がついた。そんなことは笑っちゃうくらい当たり前な話なのだけれど、作ってる側の人間と使ってる側の人間との剥離はこれからますます大きくなっていくのではないかと、有名なスマートフォンのコマーシャルの謳い文句を見ていると、そう思わずにはいられない。

@lynmockの『P3:PeraPeraPrv』を使い始めて数カ月たったころ、初めてフリーウェアに寄付をした。それは開発者への感謝の気持ちだった。きっと大袈裟な話なんだろう。それでも、彼と彼が作ったソフトウェアのおかげで僕のタイムラインがあるように思える。

そう、すべてを叶えるアプリケーションがあるのではなく、すべてを叶えようとするエンジニアがいるんです。人類にはね。


※本稿は2008年に書いた文章を大幅に加筆修正したものです。