モノより思い出なんだろうか

本質的にオタクは物欲が旺盛で蒐集家の素質を備えているものだと勝手に思っている。オタクに必要なものは財力であるとは苺衣ラジのジョークだが、しかしどうして確かにそうだなと、最近の秋元康劇場や一番くじなんかを見ていると、六億当てたらいっぱい買うもんね!と、とらのあなでの皮算用などに勤しむことが多くなった。

いつのまにかゲームやらコミックやらラノベやらCDやらDVDやらに囲まれた生活をしていた僕の実家の部屋にはそれなりの量のオタ物があったのだけれど、ひとり暮らしの引越し作業をきっかけに、その全部をブックオフに持っていって処分した。おかげで新居はものすごくスッキリしたけれど、どうにもしばらくして、馬鹿なことをしたなと思うようになった。

僕は中古市場でよく買い物をするし、売ったり買ったりするあなたのお店も実に理に適った考え方であると思うのだけれど、どうしてもあの一件以来、自分の買ったモノを売るということに抵抗がある。たとえばゲームソフトを新品で買ってすぐクリアしてそれを売って、そのお金で新しいゲームを買うというような一連のサイクルは実に素晴らしいと思うのだけれど、でもなんか、そのゲームソフトを新品で買って遊んだエピソードまで、僕のその思い出まで一緒に切り売りされてしまうのではないかみたいな思いがある。

このような話を考える上で「さっちゃんに学ぶ片付けの心得」というエントリに僕は非常に感銘を受けている。実際のところ、ゲームもマンガも一度やったり読んでしまったら、次にそれを必要とする確率がものすごく低いことはわかっていて、だったらまだ高値のうちに売ったほうがそれはもう間違いなく得だと思う。でもなかなか僕はそこまでクレバーにはなれない。

結局、あのとき売ったサターンもドリキャスもゲームソフトもコミックもCDもDVDも、しばらくしてから、そのほとんどを中古市場で買い戻した。でも、それはもう僕の知っている、僕との思い出のあったモノではなくなっていて、やっぱり僕はこれからもきっとモノをどんどん溜め込んでいくんじゃないかなと思っていて、でもやっぱり売っちゃったほうが得だしスマートだなと、そんなジレンマをいつまでも抱えていくんだと思う。